1985年5月に地域のお母さんたちが立ち上げた小さな文化拠点「西大寺子ども劇場」はおかげさまで30周年を迎えました。この間に子どもをとりまく状況はめまぐるしく変化しています。どんなに時代はかわっても、すべての子どもたちの命と未来を一番に考えながらこれからも活動を続けていきます。
2016年3月には30周年記念特別公演として鳥の劇場「すてきな三にんぐみ」を開催します。芸術監督・中島諒人氏からすばらしい文章を寄せて頂きました。「子どもと演劇」について、しばし考えていただけたらとてもうれしいです。
【カブトムシの丸い部屋】
子どもの心と演劇の関係を考える時、カブトムシの丸い部屋をいつも思う。土中でサナギから成虫になるまでの時間を過ごす、体より一回り大きい卵のような丸い空間。活発に餌を食べる幼虫の時期が終わり、成虫になるまでの時間、彼らはその部屋で少しずつ熟していく。
子どもの時、幼虫を手に入れて黒い腐葉土の中で育てた。幼虫はずっと土の下にいるから、生きているのか死んでいるのかわからない。死んだんじゃないかと思って土を掘ったら、その空間とサナギに出会った。不思議な外皮が作る大人の外形、ほぼ動かないが生きている感じ、そして黒土の中に見事に作られたマユのような空間。カブトムシは、闇と静寂の中、卵型空間と外皮に守られて、地上の夏を夢見ている。
演劇が子どもの心に作るのは、あの卵型の暗闇のような空間ではないかと思っている。部屋はいくつかある。悲しみの部屋。恐怖の部屋。邪悪の部屋。別れの部屋などなど。
楽しいことは、みんないろいろに体験する。それは特に受け入れの準備がなくても、心が喜んでどんどん受け入れる。喜びがどかーんと押し寄せても、心がつぶれてしまうことはない。でも、例えば悲しいこと、怖いことはどうだろう。どかーんと一気にやられたら、心に大きなヒビが入ったり、形が変わったり、ひどかったらつぶれてしまうかも。受け入れるには準備がいる。
世界は優しさや楽しさだけではできていない。まがまがしいものもある。そこから目をそらしても始まらない。心がしっかりと根をはって大きく育っていくためには、やがて出会うそれらを、過大でもなく過小でもなく、正確に受け入れる準備が、まずは必要だ。異議も反撃も、それを正確に知ってからすればよい。
いろんな暗い感情を整理する部屋を、幼い心の中に少しずつ作っていこう。小さい穴から始めて、だんだん広げ、壁をしっかり固め、すぐには崩れないようにする。みんな、大きくなるにつれていろんな体験をするだろう。見る、聞く、さわる、さわられる。すぐに整理できる経験もあれば、どう受け止めていいかわからないこともある。でもいろんな部屋があれば大丈夫。時間をかけて、そこに整理すればいい。
少し前までは、自然や、身近な病気や死、濃密な地域や親戚の付き合いが、そういう準備をしてくれた。今はどうか。統制され無菌化された白っぽい日常の中で、メディアや、時には知らない隣人が、奇怪な世界の暗部を子ども達に唐突に突きつける。準備がなければ、心に刺しこまれた何かが、回復の難しい傷を負わせるかもしれない。身近な人の愛情が、子どもの心を守るのは間違いない。が、いい演劇を見ることも、備えの一つ。架空の世界が、日常にないさまざまな体験を全身に与えるからだ。
ちょっと重たい話になった。もちろん劇場には喜びがあふれている。笑い声や、時には俳優への掛け声やツッコミや。客席と同じ空気が流れる場所に不思議な物語空間があって、それはとても近くて手をふれることだってできるのだが、同時に息をのむほど特別で、さわることのできないこしらえ物のようにも感じられる。観るのは「私たち」。テレビの前に座るのは、一億分の一の顔のない「誰か」だが、舞台の前の「私たち」は、芝居を楽しみながら、同時に客席の互いの笑い声や息づかいを楽しんでもいる。
劇場の空間は、人間や人間集団への信頼を分かち合える温かい場所でありたいと思っている。子供と一緒に作る場は、とりわけそうでなければならない。それからもう一つ大事にしたいのが、カブトムシの丸い暗い部屋。
いい演劇には、いい闇がある。舞台をじっと見つめる子ども。怖かったり、悲しかったり、不安だったり。でも目を離せない。その目の深い深い奥に、いろんなものを整理してしまいこむ暗い丸い部屋が、ふくふくと、しっかりと育っていく。
西大寺子ども劇場の30周年をお祝い申し上げます。長い継続と蓄積に尊敬と希望を感じます。
鳥の劇場芸術監督/演出家 中島諒人